次の<妙隆寺>(鎌倉市小町2-17-20までは小町大路を歩いて5分ほど。
妙隆寺は、数々の厳しい拷問に耐えながら法華経の布教に努めた二代目住職の日親に由来し、
「鍋かぶり」の寺として、親しまれています。

 

本堂右手のお堂の中には、欅(けやき)一本造の寿老人が安置されています。
こちらは鍵がかかっているのでガラス越しの拝観になります。

妙隆寺の寿老人はお二人いらっしゃいます。こちらは本堂の左手の石造の寿老人。

こちらが妙隆寺の御朱印です。

妙隆寺から途中日蓮辻説法跡の前を通り、小町大路を更に南へ行くと、恵比寿さまのいらっしゃる<本覚寺>(鎌倉市小町1-12-12に到着です。
この地は、幕府の裏鬼門(南西)に当たる為、源頼朝が夷堂(えびすどう)を建てた場所です。
後、永享3(1436)年、日蓮宗の僧日出が本覚寺を建立し、二世住職の日朝が身延山から日蓮の骨を分骨し、以後東身延と呼ばれ栄えました。
境内の八角の夷堂に恵比寿さまが祭られています。

後世の鯛と釣竿を持つ商業の神「恵比寿様」の姿とは程遠い、武人のようなスタイルの「夷様」で、古来の姿を伝える珍しい像です。

このお寺では「にぎり福」という可愛いお守りが売られています。
掌中に、握ってお願いをすると、御利益があるそうですよ。

本覚寺の御朱印です。

鎌倉駅前からバスで<長谷寺>(鎌倉市長谷3-11-2 拝観料300円)に向かいました。
長谷寺境内の放生池は、まさに紅葉の見頃でした。

ご本尊の観音さまが祀られる観音堂の左隣が大黒堂。
大黒堂の本尊である大黒天は応永19(1421)年の作といわれる古い像で、大黒堂2階の宝物館に安置・展示されています。

左に「さわり大黒」正面に「出世運授大黒」右に「三面大黒」の三体の大黒様。
現在、七福神巡りで参拝するのは、ご本尊の代わりに祀られているこの出世開運授け大黒天です。
なお、出世開運授け大黒天の隣にいらっしゃるカラフルな「さわり大黒」が人気の的!

ここに来たらぜひ食べないと!のお団子(笑)茶店からの見晴らしも最高ですよ。

こちらでなんと、朱印帳の表紙に但し書きと私の名前(画像では消してありますが)を入れて下さいました。
ありがとうございました!

さて、私の七福神巡りの最後は<御霊神社>(鎌倉市坂の下3-17です。
御霊神社は長谷駅と極楽寺駅のちょうど中間辺りの線路際に建っており、鳥居のすぐ前を江ノ電の電車が通過していきます。
御祭神は、源(八幡太郎)義家に従って、奥州の後三年の役に16歳で出陣した、鎌倉権五郎景政(ごんごろうかげまさ)公です。景政公は、敵に右眼を射抜かれながらも勇猛に戦ったという武勇伝が残る武将で、鎌倉武士の誇りとされました。
景政公の命日とされる9月18日には、「おかめ」の面を付けた妊婦を中心に異形の面をつけた人々が町を練り歩く奇祭(面掛行列)が行われ、この祭で使用する福禄寿の面が御霊神社の福禄寿です。

福禄寿の面は、普段は、本殿右手の宝物庫に安置されており、社務所に申し出れば拝観できます。(拝観料100円)お面の数は、11個、お面たちの中央手前に福禄寿が立っています。
 

これで最後の御朱印です。

鎌倉七福神巡り、いかがでしたか?
私は少々、駆け足気味にまわってしまいましたが(全行程約5時間)、鎌倉をじっくり味わいながらまわるのもまた、違った楽しみを発見できるかもしれませんね。
何しろ、おいしいものはたくさんありますし(笑)見所もいっぱい!
長谷寺では、写経(所要時間1〜2時間)もできますし(今回私は、石に般若心経から一文字だけ書いて納めてきました。〜100円)、その他に写真を撮ったり、スケッチをしたり・・・
お参りする時間と共に、自分の心をしんと静かに見つめる貴重な体験を楽しんでみて下さい。
 

 

 

             


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