次に向かったのは、山下公園です。
この辺りには昔、港崎遊郭がありました。横浜市助役であった楢岡徹らの尽力で、関東大震災の瓦礫を使って海を埋め立てて、1930年(昭和5年)3月15日に開園したのが山下公園です。
横浜市は「日本最初の臨海公園」としていますが、海に面する公園が当時既に存在しており、その定義が明確ではありません。
私にとってはここに来ると、あ〜ヨコハマにいるなぁと実感できる場所です。
氷川丸、マリンタワー、ホテルニューグランド・・・・それらがセットになって、私にとっての港町の情緒を感じさせてくれるスポットになってます。
(ちなみに・・・私の高校時代、学校で<テーブルマナー講習会>というものがホテルニューグランドありました。旧館の重厚な雰囲気に、制服姿の私たちは圧倒され、されにはテーブルマナーということを意識しながら食事をするわけで、味なんて何もわからなかった思い出があります。)
今回の散策で、ここ山下公園で面白いものを見つけました。
<西洋理容発祥の地>の記念碑です。
「文明開化はまず散髪から」という断髪風俗やそれに伴って、理容店も横浜から起こりました。
西洋床屋のはじまりは、小倉虎吉が1869年(明治2年)に横浜居留地にあった中国人宅の階下に開いたのが始めとされています。
山下公園には、西洋理容発祥の地の記念碑があり、その形はいわゆる「ザンギリ頭」の人の顔をかたどっており、文明開化を象徴しています。
今まで何度も山下公園を訪れているのに、この碑には気づきませんでした。結構、とうかかなり、斬新ですよね(笑)
山下公園横の大桟橋を眺めつつ、
<開港の道>(山下臨港線プロムナード)を歩いて、赤レンガ倉庫へと向かいました。
山下臨港線プロムナードは、新港地区から山下公園にかけて残されていた鉄道高架橋を利用した遊歩道です。それと同時に山下臨港線プロムナードは開港の道と呼ばれています。
開港の道とは桜木町駅前から新港地区、山下公園を通り、港の見える丘公園までの、全行程3.2キロメート
ルの遊歩道を示しています。特にこの散歩道辺りには、歴史的建築物など多く見られるためこの様な名称が付けられたそうです。山下臨港線プロムナードは2002年に完成しました。
高架橋を利用した散歩道ですので、見通しが良く、みなとみらい地区が一望できます。
とても気持ちのよい散歩のできる遊歩道でした。
現在では、みなとみらい周辺の名所となっている赤レンガ倉庫は、明治末期から大正初期にかけて模範倉庫として建設された煉瓦造りの歴史的建造物です。
創建当時から赤レンガ倉庫は横浜港としての物流拠点として活躍してきましたが、新港埠頭が物流機能を他の埠頭に譲っていった為に、赤レン倉庫も倉庫としての機能が失われていき、横浜のシンボルとして静かに佇んできました。
1992年の3月に横浜市が赤レンガ倉庫を貴重なる歴史的資産ととして保存し、市民の賑わい施設として活用するために国からの取得を得ました。また、横浜レンガ倉庫は愛称名であり、正式名称は新港埠頭保税倉庫というのだそうです。
私が学生時代はここは廃墟のようになっていて、ドラマ<あぶない刑事(デカ)>でよく出てきてたなぁーくらいの印象でした。
今は、見違えるようになり、イベントが数多く開催されたり、ショッピングを楽しんだり、おいしい食事を食べられるレストランもあったり・・・・横浜の新しい観光名所となっています。
今の時期は、屋外にスケートリンクができているんですよー
私も華麗に滑ろうかと思いましたが、きっと手すり磨きで終わってしまいそうだったので、今回は止めておきました。
このリンクは、2月15日まで設置されています。ぜひどなたか、ご一緒しましょう(笑)
赤レンガ倉庫の横に、<旧横浜港駅プラットホーム>がオブジェのように飾ってあります。
この駅のプラットホームは、1911年当時に横浜税関内の荷扱所として使われていたものでもあり、1920年には横浜港駅となり、東京駅からの汽船連絡列車も行き来するようになっていきました。
そして関東大震災復興した1928年には、外航ターミナルの旧横浜駅プラットホームが設けられ、海外との外航時代の最盛期を迎えましたが、今は赤レンガパークとしての休憩場所となっています。
横浜には数多くのもの(こと)の発祥の地がありますが、たとえば、<日本で最初の西洋料理店(レストラン)>や<アイスクリーム発祥の地><テニス発祥の地><西洋式公園発祥の地><パンの発祥地><貸し自転車発祥><機械製氷発祥の地><石鹸工場発祥の地><クリーニング発祥の地><日本最初のビール醸造の地>etc・・・
数え上げてみるとキリがないほどです。今度、ぜひ横浜のハジメテをレポートしてみたいですね。
ますます、今年の開港150年イベントが楽しみになってきたchocolatでした。
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