松山城を後にして、次は道後温泉の少し奥に位置する<石手寺(いしてじ)>へ。

<石手寺>は真言宗豊山派の古刹で、四国霊場51番札所です。寺伝によれば聖武天皇の神亀5(728)年に勅宣によって大領・越智玉純が伽藍を創建したと言われています
大わらじが掲げられている仁王門は、国の重要文化財(国宝)に指定されています。

■石手寺の言い伝え
長者・衛門三郎のところへお大師様(空海)が托鉢にこられましたが、衛門三郎はその托鉢を手で払い除け、それが8つに割れてしまったのです。
その後、衛門三郎の子どもたち8人は次々に死んでしまいました。
その子どもの死から自分のした事を恥じた衛門三郎はお大師様にお詫びをする旅を始めました。 これがお遍路さんの始まりだと言われています。
何十回か回っているうちに衛門三郎は病にかかり、瀕死になった時、お大師様が現れました。
お大師様は小石に衛門三郎の名前を書いて握らせると、衛門三郎は静かに亡くなっていきました。
それから何年かたって松山藩の藩主に生まれた子供が手を閉じたままなので、
このお寺(現石手寺)で祈願した所、開いた手の中から衛門三郎の名が書かれた石がでてきました。
それからこのお寺の名を、石手寺と変えたそうです。

上の写真に、千羽鶴があるのが見えますか・・・?

私も平和への願いをこめて、鶴を折ってきました。

ご住職が筆をとられた短冊、ありがたくいただいてきました。

ここでふと、境内に小さな袋がたくさん並んでいるのを発見。
近づいてみると・・・<四国霊場八十八ヶ所 お砂撫で>とあります。

ここで砂の入った袋をなでることで、八十八ヶ所を巡ったことになるそうなので、もちろんチャレンジ。

いつか、本当にお遍路さんになって霊場を回りたいと思っているので、ここでその思いを再確認しました。

鍋焼きうどんと並んでもうひとつ、絶対食べようと決めていた(笑)のが、石手寺名物の<焼き餅>です。

寒かったので、奥の茶店の中で焼き餅のコーヒーセットを注文。

焼き餅は、アンコの入った薄皮のおもちを焼いたもので、焼いた皮がパリッとして、中のアンコは熱々♪おいかったです!!!(思った通り★)

ひと時の休憩の後、次は<正岡子規記念館>へ向かいました。
この記念館は、湯築城跡にある道後公園の中にあります。



■子規記念博物館
松山市立子規記念博物館は、正岡子規の世界を通して、より多くの人々が松山に親しみ、松山の伝統文化や文学についての認識と理解を深め、新しい文化の創造に役立てることを目的として解説された文学系の博物館です。
市民の知的レクリエイションや学校の課外学習の場、研究者の研究機関、観光客のビジターセンターとして親しまれています。

館内のスペースでは、新時代を生き、明治をつくった子規の全体像をわかりやすく説明するため、実物資料をはじめ、
レプリカ、パネルなどの資料を使い、ストーリー仕立てで彼の生涯を紹介しています。
また、随所に映像コーナーがあるので、子規についてあまり知識のない方でも大丈夫。わかりやすい解説映像を見ながら彼の生涯を辿っていきます。
また、展示資料と観覧者を結ぶ助言者として、インストラクターが質問や相談に応じ、館内を案内してくれるサービスもあります。

子規の生涯は36年という短いものでした。しかし、子規の生き様は壮絶そのもの。
彼は死ぬ二日前まで、病におかされながらも作品を発表し続けましたといわれています。
また、子規には夏目漱石などの多くの支えてくれる仲間がいました。その仲間達とともに俳句を中心とした近代文学に多大なる功績を挙げたため「近代俳句の父」と言われ、彼の死後100年以上経過した今日でも、子規を慕う人々は後をたちません。
子規の生き様や人柄を知ることで、私たちが学び取れることは多いのではないでしょうか。

 

             


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