関東地方は、暖冬という予報はどうしたのかな?というほど、寒い日が続いております。
雪景色は美しいので好きなのですが、あまりに寒いと、愛犬2頭と一緒にストーブの前を陣取る私です(笑)

【chocolat's Slow Life】第十 六回目は初の出張レポート!<愛媛県〜松山&今治>をご紹介します。

《美しい城下町 松山&今治》

今回の出張がなぜ決まったのか・・・と言いますと、実は愛媛県は我がまこでんの社長の出身地なのです。
(松山から40kmほどの距離にある内子町という所です。)
そして、伊達部長は愛媛の伊予市出身、白石次長は伊予の小京都と呼ばれる大洲市の出身です。
まこでんとは、縁の深い愛媛県の今治で、2月9日より、昨年キャンペーンをやらせていただいた映画<ROBO☆ROCK>が公開されることになり、
これは私が観に行かないとということになりまして・・・・(笑)

実は私は、四国に行くのも今回が初めてだったので、とても楽しみにしていました。
ちょっと駆け足での街巡りだったのが残念ですが、それでも街の魅力は堪能してきました!!!

まずは、飛行機で松山空港に到着。

■松山の歴史
・松山市の名前の由来
慶長8年(1603年)加藤嘉明が築いた城地にちなみ名付けられたそうで、はっきりとはしていませんが、二つの説があり、
一つ目は…お城のある山に多くの松の木が植えられていた。
二つ目は…江戸時代の徳川家の一族の松平家の松の字を取って付けられた(合津若松・松代など)(奥平貞虎編「予陽郡郷俚諺集」より)
だそうです。

・松山市の概要
松山市は愛媛県のほぼ中央にある松山平野の北東部に位置し、東京に比べて経度で約7度の差があり、夜明けと日没ともに約28分ほど遅くなるようです。
松山市の気候は温暖な瀬戸内海気候で、年平均気温15.8度、年間降水量の平均は1,303mmと少なく、積雪もごく少量、台風の通過も少なく、穏やかで恵まれた気候条件です。
松山市の総人口は478,606人と多く、隣接する北条市と中島町との合併協議が進められているようで、四国初の人口50万都市になりつつあるようです。
その他にも松山市が高校野球の原点であったり、記紀の古より湧き続ける「道後温泉」、夏目漱石の「坊ちゃん」、司馬遼太郎の「坂の上の雲」などの小説や、正岡子規の俳句、町の中心にそびえ立つ「松山城」などがあり、歴史、文化がとても栄えている都市でもあります。


■まつやまインフォメーション
情報発信ポイント「まつやまインフォメーション」とは、帽子型情報端末機で、松山市のまちの様々な情報(観光情報・地域のコミュニケーション活動・緊急情報・広告等による民間情報など)に簡単にアクセスできます。

これは、13箇所あるという「まつやまインフォメーション」のひとつ、松山空港ビル1階到着ロビーにある端末機です。

タッチパネルから、様々な松山の情報を得ることが可能です。

私は事前に、ガイドブックやネットなどで情報収集してから行きましたが、それでも不足するような情報・・・・
たとえば、バスなどの路線図や時刻表などを知るのには非常に便利ですし、松山に来ないと手に入らないパンフレットやリーフレットなども貰うことができますので、
観光で訪れた際にはぜひ、上手に活用できるといいですよね。

松山空港以外の設置場所は、次の通りです。
・松山城ロープウェイ駅舎1階
・松山観光港ビル1階正面出入口
・JR松山駅改札前
・伊予鉄郊外電車改札前(松山市駅前)
・伊予鉄市内電車停留所(松山市駅前)
・坊っちゃん広場(松山市駅前)
・坂の上の雲ミュージアム入口(一番町三丁目)
・ロープウェイ街入口(大街道三丁目)
・大街道商店街入口(ファーストビル前)
・大街道一番町バス停留所
・道後温泉駅前・放生園
・道後温泉本館東側広場


さて、空港からバスでJR松山駅前まで来ました。

さすが、正岡子規の縁の地ですね。駅前にはこんなに立派な句碑が建っていました。

春や昔 十五万石の 城下哉

これは正岡子規の代表句です。
明治28(1895)年に、子規が日清戦争の従軍記者として戦地に赴く直前の句。
松山を象徴的にあらわす句として、松山の玄関口のひとつであるこの場所に置かれたのだそうです。

そして・・・・
松山、といえば路面電車なのですが

私はまずは、市内を走っている<マドンナバス>というレトロな雰囲気のボンネットバスに乗り込みました。

坊ちゃんつながり。。。。で小説に登場するヒロイン、マドンナの名前を冠したこのバスは、市内の観光スポットを周遊するルートを走っています。
1乗車200円ですが、400円で一日乗車券を購入すると、マドンナバス・市内電車・バスが乗り放題になるので、松山をゆっくり観光する方にはこちらがお勧めです。

さて、私がマドンナバスで向かった先は・・・・<子規堂>です。

■子規堂
子規堂は、正岡子規の文学仲間であった、正宗寺の住職仏海禅師が子規の業績を記念し、正宗寺(しょうじゅうじ)内に、俳人・正岡子規が17歳まで過ごした邸宅を模して建てられた文学資料館です。
子規が使っていた机や遺墨や遺品、写真など約100点を展示されています。

子規堂の正面には、子規の「旅立ち」の銅像があり、

このほか、子規堂前の広場の一角には夏目漱石の胸像、
当時運行されていた「坊っちゃん列車」の客車、俳句ポスト、子規とベースボールの碑などもあります。

正岡子規は、わが国野球草創期に選手として活躍した人物でもあり、明治20年代にはじめて松山の地にこれを伝えました。
最も早くベースボールの技術、規則を訳述解説し、その妙味を強調して ひろく世に推奨「野球」の名づけ親と称されています。



 打ちはづす球
  キャッチャーの手に在りて
   ベースを人の行きがてにする
 
 今やかの三つのベースに人満ちて
   そぞろに胸の打ち騒ぐかな

この正岡子規のベースボールの歌は、新聞<日本>に明治31年に発表されたものです。
 

 

             


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